武士虎が人材業界を志した経緯が長ーく綴られています。私のファン以外には、どうでもいい内容だと思いますので、気になるところだけ飛ばし読みしちゃってください!笑
人材業界を志した理由
私が人材業界へ行こうと思ったのは、お恥ずかしながら、大学3年になった12月頃でした。
大学生活は、絶賛モラトリアム期間でした。付属の高校だったので、大学にはエスカレーターで入れました。
大学に受験せずに入れるとなると、もちろん勉強なんてしませんよね。笑学部は、英語系の学部に進学することになりました。
大学に入ってからの4年間、正直なところ、留学を除いてそこまで記憶に残ってないです。笑。居酒屋でバイトをしたり、スノーボードサークルに入って遊んだり、恋愛もして、授業もサボりつつしっかりと単位は取る。みたいな大学生でした。(クズ)
て就活を想像して、、、
そうだ!留学行こう!!
(カナダのナイアガラの滝にて)
という目標も設定しないままカナダへ約1年間飛び立ちました。
先進国の日本 vs 途上国のペルー
人材業界を目指すきっかけとなったのは、このバッパックが始まりかもしれません。
留学中、生活にも英語にも慣れてきた私は、
と思うようになり、
日本帰国の1ヶ月前に、マチュピチュとウユニ塩湖へ行く!と目標を掲げて
一人でプランを組み立てて見事行ってきました。


もちろん、マチュピチュやウユニ塩湖にめちゃくちゃ感動したんですが、、
特に驚いたのは、
働いている人、生活している人の笑顔!
がキッラキラしてたんですよね。。。(ありきたりですまんw)
当時の私には、日本人より幸せそうに見えました。。
就活の時に振り返ると、このバックパックは価値観に大きな変化をもたらしたなーと思います。
結論として、
- 日本よりも貧しい国なのに、日本人よりも幸せそう
- →お金=幸せ じゃない
- →何のためにお金稼ぐの?
- →日本で働くのって幸せなの ?
と行ったのがで「働くこと」に対して興味が湧いた原体験です。
父親の影響
人材業界を目指したもう一つの理由として、父親の転職が私に取ってとても衝撃的でした。
みなさんのお父さんはどんな人ですか?
私の父は、寡黙で、取っつきにくくて、頑固だけど、家族をとても大事にしてくれる。
そんな父親です。
正直なところ、20歳くらいになるまで(留学に行くまで)はとても父親のことが嫌いでした。
理由としては、
- 教育関係は母親に任せっきり
- 家に全然帰って来ない
- 帰ってくるといつも不機嫌
でも、、上記の嫌いな理由を噛み砕くと
- 祖父に教育をされてないから教育の仕方が分からない
- 仕事をめちゃくちゃ頑張ってる
- お金にいつも困っていた
と何かしら理由があったんですよね。
それなのに、私は、こんな感じでした。
あんまり書きたくはなかったんですが、武士虎家には膨大なる借金がありました。
その額、、
何と、、、
2億!
2億ですよ?2億。生涯賃金超えとるがな。。。
私の奨学金の借金226万の何倍あるんだ。。。て感じです。比じゃねえ。。。
借金が出来た理由は、祖父がイエスマン過ぎて、営業マンからビル買っちゃったんです!
都内に!ローンで!利子付きで!頭おかC!w
その借金を返すために、父親は、
大学を中退し、勤め人を諦め、独立個人事業主としてキャリアをスタートせざるを得なくなります。
父親のキャリアは、酒屋から始まり、ネットワークビジネス、料理人と、マルチにこなして行きました。
ですが、週7を超えて週8で働く父親は、どんどん疲弊して行き、、、
借金を見事返し終わった頃には、枯れてしまいました。いろんな意味で。
しかも、
となった矢先、
と言われ、
という地獄を経験してるんですわ。笑
何とか、その後
父も転職して勤め人として働いていますが、
40歳で、スキルに特化してない人材。。。。
とにかく借金返済を目的に頑張ってきた父に、あまりにも厳しい現実が。。。
言わなくても分かると思いますが、転職にめちゃくちゃ苦労したみたいです。寡黙なので何にも共有してくれませんでしたが。
私としては、
という悲壮感と、行き場のない怒り。
40代になって、必死に頑張ってきたのに、、手取りは20代並み。。。
日本って、レール外れた人への待遇、半端ない。
って思いました。強く
結論として、ここで伝えたいのは、
- 年齢を重ねる毎に転職は不利に
- 日本はレールを外れている人に対してめっちゃ厳しい
こんな父親を見たら、息子としては、
同じ様な境遇の男性を放っては置けない。
転職は人生を左右される大事なイベントだ!
と思う様になったわけです。
まとめ
長くなったので、ここだけ読んでいただければ結構です。
私が人材業界を志望した理由のコアは、この2点になります。
①南米での、働くことに対する疑問
②父親の転職
では、武士虎でした。(@busitora)